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訳者解説(末尾)をご覧下さい

D117

 

米国におけるbedside teaching

病院は卒前臨床教育の科学的実習の場である

 

 

Norman B. Roberg (岡嶋道夫訳)

 

この論文は、下記のドイツの医学雑誌に掲載された

Normann B. Roberg: Lehren und Lernen am Krankenbett in den USA.

Deutsche medizinische Wochenschrift 90: 969-973, 1965.

Georg Thieme社の許可により翻訳し、

医学教育2(5): 307‐311,1971

に発表したものである。

 

筆者がここに米国におけるbedside teachingについて記述するようにとの依頼を受諾することになったのは、ドイツの臨床教育に関する科学審議会(Wissenschaftsrat)の勧告書、とくにその中のつぎの文章を読んだからである。「医学生と若い医師に、習得した理論的知識をインテンシーブな実際的修練と、ベッドサイドにおける経験を重ねることによって補う機会を種々の面から与えること――一方においては教員が十分であり、学生数が適当に少なくなければらない――他方、すべての学生をベッドサイドで規則正しく教育するためには、病床数が十分に多いことが必要である。」

 

定義

1."Bedside teaching"は、講義またはセミナーによる教育からはっきりと区別できる、教官の特殊な任務の形式を示すものである。その本質はbedsideにおいて、学生の小グループをインテンシーブに教育指導することにある。

2."Clinical clerkship"というのは、病院の病棟で働き、bedsideで教育を受ける学生、つまり"clinical clerkとよばれるもの"の義務と使命を指す。歴史的にみれば、この概念はFamulaturとFamulus(訳者注:従来のドイツの医学教育において、病院で行う3ヶ月以上の必須の実習のこと、通常は夏休みなどを利用して行われる)と同じである。"Clinical clerkship"は現在の米国の医学教育過程における重要な要素となっている。

3."Intern"はドイツのPflichtassistenten(訳者注:卒後の実地修練生)に相当する。

4."Resident"はドイツの助手に相当する。

 

医学教育の課程

米国では、bedside teaching(clinical clerkship)は医学の卒前教育と学部の機構にもっとも密着しており、学生の医学教育とresidentの卒後教育は、高度に有機的に組織された連続体となっている。83校ある米国の医学校の教育の内容は、それぞれ異なっている。それゆえ本稿では、clinical clerkshipにみられる本質的な特徴に限定してのべることにする。

基礎医学の前に行われる教養科目(artes liberales)と"premedical studies"は、カレッジにおける4年間で完了している。

4年間の医学教育の最初の2年間は解剖学、生理学、生化学、薬理学、微生物学および病理学にあてられる。これらの学科は普通の形式の講義と、同時に行われる実習室での実習とによって教えられる。

Preclinicalの学習の中に、つまり第2学年の後半には患者を直接に検査する基礎的なコースが入ってくる。内科教室(department of medicine)が先に立ってこのコースの責任をになうが、他の専門科も協力する。学生は基礎的なアナムネーゼをとること、および身体の完全な検査を行うことを学ぶ。Preclinicalとそれに続く臨床との移行期にあたるこのコースでは、臨床医学を教えるということはあえてしない。それよりも学生に対して強調されることは、病歴や身体の検査は基礎科目の実習室における勉学によって完全なものに達しうること、このような患者からのインフォーメーションを得るための多数の方法はそれぞれしっかりと基礎づけられた理論によって支えられていること、そしてこれらが医学という学問を形作るものであること、である。ここでの教育では、系統的な入念な観察に重きをおく。学生は手始めに、完全な病歴や身体の検査に関する指導と手引き的なことを書いてある小さな書物を用いる。

この基礎コースは、1)クラス全員を対象とする講義を毎週行い、患者診察の理論と原則を系統的にのべる、2)重要な専門書の勉強、3)bedsideにおいて患者について実際的な勉強をする、からなっている。学生は毎週4時間をbedsideで過ごす。学生4人に対して1人の教官が用意される。学生は各自自分のステトスコープ、眼底鏡、耳鏡、額帯鏡、血圧計、ハンマー、音叉、針および刷毛、巻尺、皮膚鉛筆を所持するよう要求される。

教官は4人の学生の前で、すでに検査のすんでいる患者について病歴をとることを行ってみせる。この教育は午前中に行われるが、学生は帰宅してからメモやスケッチを用いて完全な病歴と身体の検査結果を清書し、教官に提出して批判を受ける。

このコースの終りに、理論の筆答試験、担当教官による能力の評価、および他の教官によるbedsideにおける実地試験によって、学生は評価を受ける。このコースに合格しないと、つぎの2年間の臨床へ進むことが許可されない。このコースを終わった段階で、完全で順序正しい病歴を書くこと、系統的であり完全である身体検査および神経学的な検査を行えるようになっていることが期待される。もちろん学生の経験や知識はまだ不足しているので、質的な面、正確さ、および検査成績と病気とを関係づける能力は限られている。しかしこのコースによって、科学的な教育、技術的な熟練、および患者に対する対応のしかたなどに対する基本が作られるのである。

3学年には毎日8時から9時または10時まで、臨床各科の系統講義がクラス全員を集めて行われる。そのあとは学生はクリニックで過ごす。学生たちはクリニックで臨床の各領域について順次学ぶのであるが、ブロック・システムで各科に2週間ないし8週間ずつ分かれる。病院での指導は、内科の場合つぎの3要素からなる。

1.Clinical clerkshipへの入門。

2.専門領域のセミナー、たとえば浮腫と利尿剤、疼痛と鎮痛剤、心機能不全とジギタリス、のような問題について。

3.カンファレンス:レントゲン学、病理学、医学の社会的な面、といったテーマについて。

まず、clinical clerkshipへの入門について書いてみることにする。4人の学生が1人の教官によってbedsideで指導を受ける。第2学年のコースで直接患者を検査したときは解剖学、病理学および生理学と関連付けて学ぶという程度にすぎなかったが、第3学年では臨床医学と結びつけることができるようになる。ここで基礎医学的知識、臨床講義、セミナーおよび学生の自主的勉強が統合されるのであるが、患者はそれらの中心的役割を果たす存在となる。この教育は図書室を利用して行われ、受持った患者で重要な項目を、専門の文献を引いて報告することが要求される。この時期に、受持ち患者について病棟やセミナーやカンファレンスで報告させられるという体験が始まるのである。各学生は週に1人の新しい患者を持つことを許されるだけであるが、この患者について徹底的に学ぶのである。8週間続く内科における臨床の学習の終りには、担当教官によって学生の能力が評価される。さらに学年の終りには臨床医学の理論面について、包括的な筆答試験が実施される。第4学年へ進級するには、学生を指導した臨床教官が合格の評価をつけることと、包括的な筆答試験に合格することが必要である。あぶない学生はさらに、口答試験がそれより上の教官によってなされ、4年への進級の可否が最終的に決定されることになる。

4学年に入ると、clinical clerkshipは充実したものへと発展する。第3学年に行われた患者の検査とbedsideの教育のコースは、その準備であったといえるようになる。「病院は臨床の学年のために用意された学問的実習の場である」という言葉でclinical clerkshipの目的を表現することができよう。実習室(必要な空間、教育のための設備と努力も含めて)が解剖学、生化学、薬理学および生理学の教育に必要なことはいうまでもないが、同じように診断や病気の予防と治療に直接結びつくところを学生が観察する実習の場も、必要であることが当然のこととして認められねばならない。後者が、スタッフの配置がよくできていて、患者の看護、なならびにbedsideの少数の学生の指導に適したように病棟が設備されている病院なのである。講堂での講義では、臨床医学の学問的内容と科学的方法とが示される。Bedsideでは、学生は講義で学んだ方法を応用することによって、自分の経験を獲得するのである。学生にとっては、以上のような方法を用いて解かなければならない「未知」の課題が患者なのである。学生は大部分の時間を病棟で過ごし、臨床の業務とクリニックにおける教育カンファレンスに参加する。つまりこれらは、規則的に行われる教育回診、特定の領域について行われる専門的病棟回診、総回診(grand rounds)、クリニックのチェアマンによって主催される大講堂での毎週のカンファレンス、薬理学と共同で行われる治療に関するセミナーおよび特殊なテーマのセミナーからなる。

Clinical clerkshipの目的とするところは、重要な疾患を全部教えることでなく、また学生が技術や治療に熟達することでもない。Clinical clerkがinternになり、さらにresidentになったときに、広い臨床的経験の獲得や、臨床上必要な熟練が得られるのである。

 

Clinical clerkshipの組織

医学部のクリニックは、25ベッドからなる教育単位に分かれている。25ベッドの各教育単位(teaching service)は、2名のattennding physicians、2名のresidents(うち1名は病棟医、他の1名は2つの教育単位を監督する)、1名ないし2名のinterns、および4名の学生で構成される1チームよりなる。年輩の方のattending physicianは患者の看護、学生の指導およびinternsとresidentsの研修に対して責任を持つ。これらの任務を遂行するには多大の時間を要するので、若い方のattending physicianはその任務を責任をもって手伝うが、これによって同時に自分の臨床および教育の経験を深める。

Attending physicianというのは、一定期間教育部門に割り当てられた専門医のことであって、ドイツの大学における地位としては講師から正教授(訳者注:日本の講師とは内容的に同じではない)の範囲に該当している。

Residentsは学生の直接の監督者であって、学生が患者について勉強するのを助ける。それによって学生は、attending physicianに自分の患者について説明するときの準備ができ上がるのである。Residentsは学生の書いた報告を一緒に目を通し、鑑別診断的思考への指導をし、これに必要な本や専門雑誌を図書室で探し出すように指示する。この場合の手引きと協力は、助言を与えるといった意味合いのものにすぎない;学生は自分の勉強に対して自分で責任を持たねばならない;学生が「甘やかされない」ようにする。教官とresidentsは、学生とinternの仕事の役割の間にはっきりとした境界線を引かねばならない。Clinical clerkは、学生であるという特権を持っている;Clinical clerkは自分の患者を知ることに責任があり、病気に対する理解を高めるというような課題を満たせば、それでよいのである。これに反してinternは医師であって、かれの責任は患者を世話することによって、実際的な経験と熟練とを習得しなければならないことにある。

病棟において医学技術的な作業を満足すべき状態で行うためには、「学生」、および「internsとresidents」がお互いにそろって協力できる態勢にあること、そしてかれらがたがいに部屋や設備の不足のための障害をうけないことが条件となる。これらの2つのグループが、それぞれのラボラトリーと勤務室を隣接した場所に持つことになる。どの学生も各種の系統の疾患(循環器疾患、消化器疾患、神経系疾患など)と疾病の重要な状態を勉強することができるように、ベッドの数は十分になければならない。1名の学生に週2名の新しい患者が与えられれば十分である。その理由は、前の週に与えられた患者の経過についても勉強しなければならないからである。ここで強調されることは、根底から学ぶことであって、症例の数ではない。Clinical clerkは自分の患者のほかに、他の患者を教育回診のときにみたり、その他のときに診察したりする機会を持つ。

4人の学生に25ベッド、または学生1名につき6ベッドという割合について説明すると、つぎのとおりである。1名のclinical clerkは毎週2名の新しい患者を与えられる。またこれらの患者の平均入院期間は2週間である。この計算でゆくと、学生1名につき4ベッドということになる。しかし一般的にみて、大病院にくる患者の1/3は、疾患の種類や重症の点からみてclinical clerkの勉強には不適当のものである。学生1人につき6ベッドという割合は、大学に所属し、つぎのような条件を満たす病院に通用する。つまり患者は教育と研究用として送られてくるようにコントロールされているが、研究用患者が教育用のベッドをふさぐことは許されないし、そこでは長期の治療や療養を引き受けることができないことが一般に理解されている病院である。もし病院が地域病院としての機能を第一とし、教育を第二として義務づけられているときは、学生対ベッドの比はこれよりも高くならなければならない(1:8ないし1:10)。

 

Bedsideにおける学生

Clinical clerkshipがどのような形で働いているかについては、糖尿病の患者が入院したときの例をとると、もっともよく説明することができる。この場合の学生の課題は、患者が糖尿病性昏睡で運び込まれたか、またはただ軽度のアセトン血症だけであったかによって異なってくる。

1.糖尿病性昏睡のときには、residentは患者をattending physician, internおよび学生とともに診察するため、attending physicianを呼ぶ。学生は補助者として働き、residentが行う身体の検査所見をノートし、治療の開始を観察する。Residentは血液と尿の検査を病棟検査室で行わせる。中央検査室の化学室から最初の成績がとどいたところで、病棟で行った検査成績との比較をする。Residentはinternおよび学生と(bedsideまたは病棟検査室にいるうちに)アシドーシスの代謝の特異性、ショックおよびこの症例でもしかすると見られるかもしれない異常な事項について、その特徴を話し合う。学生は糖尿病の検査用紙に記入を行い、臨床状態、検査室の成績および治療との関係を観察する。患者の症状が好転してゆく場合、学生はこれと平行して変化してゆく経過を記録の上で追ってゆくが、臨床状態や治療や検査室の成績を総合しながらこの1時間または2時間をずっと過ごす。患者の状態が安定するに至ったら、学生がその時点でこのケースについての教育上もっとも主要な経験を得たものと判断されるので、residentは学生に帰ってもよいと伝える。

2.もし患者の糖尿病が軽症であれば、residentはclinical clerkを患者のところへつれてゆき、「この人はstudent-doctorですが、あなたの病気をみるために必要なあらゆる事項に責任をもつことになっています」と伝え、学生と患者だけにしてしまう。このようにしてclinical clerkの立場を患者に理解してもらう。Clinical clerkが病歴をとり診察する最初の人となるので、この場合患者には、residentやinternが最初に診察するときよりもくわしく、病気の全経過をのべてもらったり、完全な検査をさせてもらったりする。

学生は診察を終えたら、患者をresidentとinternに示す。Residentは病歴と検査の主要な部分を確かめ、診断と治療について話し合いをし、その上でかれの"resident' admission note"に意見を記入する。そのあと、通常は翌日になるが、internが本格的な診察を行い、患者についての意見を書く。

Clinical clerkは"clerk's office"で、bedsideで自分が作ったメモを基礎にして、完全なる病歴と検査の所見とを自分で書く。学生に責任感を与えるために(この場合、生徒が宿題をしてくるときの感覚とは異なっている)。学生の作った病歴と身体の検査に関する報告が、この患者の完全で、しかも詳しく記載された資料として、そのまま病院の正規の記録として扱われるのである。Residentやinternが記入するのは、病歴、検査、鑑別診断および治療を基本的立場からまとめた総括といった程度のものにとどまる。Residentはclerkの報告を一緒に読み、批判と訂正を行ったあと、学生の報告に連名で署名するが、これによってこの報告が法律的に効力を生じ、医学的にも正確なものとみとめられるようになる。

 

教育回診

翌朝8時から9時の間に、residentと2名のinternsは25名の患者全員を短時間に回診する。学生は自分の受持ち患者を訪れ、最も新しい検査室からの報告を知るために患者の記録を調べる。学生がattending physicianに患者を説明するとき、病歴、診察、検査室の検査および治療について十分に詳しく知っていないと、これが学生にとってつらい結果になって返ってくる。2名のattending physiciansが9時30分頃病棟にくると、residentはどの患者が急性であるか、またどの患者が学生によって説明されることになっているかを報告する。これによってattending physianは、患者のために使う時間と、学生の教育のための時間とを慎重に配分することができる。

学生はattending physicians, resident, internおよび3名の仲間の学生とからなる1グループを、自分の新しい糖尿病の患者のところへ案内し、attending physiciansに患者を示し、かれが昨夕作成した病歴を渡し、直ちに患者について報告を始める。アナムネーゼ、身体の検査、検査室に関係したことの重要な点を総括し、さらに診断や治療についてのべるのである。

説明をしている間にattending physicianは、学生が病歴の終りに書きとめた総括に目を通す。学生が報告を終わると、attending physicianは不完全な内容について質問し、自ら患者に質問したり診察したりする。そして重要な点について、自分の所見、学生の報告および病歴の記載を比較する。この報告が行われている間residentとinternは、学生の陳述が適切でない場合のほかは発言を控える。教育回診はこのように学生のために存在するのである。

引きつづいてattending physicianはその学生と仲間の3名の学生について、診断の思考方法、所見の意味づけ、およびかれらのもっている基礎的知識を応用することについてのテストをする。学生が重要なことを知らないときは、次回までに読んできて報告しなければならない。終りにattending physicianはその症例に関する自分の総括を、診断や治療やさらに行うべき検査の根拠とともに書きとらせる。多くの教官はソクラテスの質問方法を用いるので、教官がどのように考えているかを明白にしておくことが必要で、その意味において教官が総括をのべることは重要である。教官によって口授された症例についての意見は、患者の記録として記入され、関心を持つものはだれでも利用することができる。

そこで他の患者に移るのであるが、それが学生によって勉強されている患者であるときには、いつも担当の学生が病気の経過について報告をする。教育されている学生の立場、卒後教育を受けている人たちの立場、および診療を受けている患者の立場は、いつも異なるので、回診の内容もそれに応じて変化する。しばしば新患あるいは重症患者の多いことがあるが、そのようなときには年輩のattending physicianは若い方のものと責任を分け合い、患者、学生、卒後教育を受けているものたちの立場が適切に守られるようにする。

6週間のclinical clerkshipがすむと、学生は12名の患者の病気を基本的に学んだことになり、自分の受持った症例を責任をもって理解するという体験を獲得することになる。そのほかに、3名の同僚が患者を説明するのに立会い、それらの患者についても重要なことは検査する。各人はこのようにして同僚からも最小限36名の患者を観察する機会がえられる。学生たちは救急外来でも、同様の経験を重ねる。

Clinical clerkshipの終りにattending physiciansのおのおの、および病棟医から文書による評価をうける。この評価は、clinical clerkshipを成果をおさめて終わったかどうかの決定となる。各クリニックにおけるclinical clerkshipを満足すべき状態で終了すること、および全体をまとめた筆答試験に合格することによって、第4学年を成果をおさめて終えたことになり、医学校(medical school)を卒業することになる。この卒業試験は大学の試験であって、医学部が実施する。この試験は、医師となって居住し実務を行おうとする州によって課せられる後日の試験(州の試験)とは全く無関係である(後者の試験の方が通常はずっとやさしい)。

 

結論

Clinical clerkshipは、つぎの4つの点において特殊な意義を有しているものと、米国では考えられている。

1.Bedsideにおいて患者を学ぶことは、「自然の形で出現してくる実験」なるものを生理学、生化学および病理学の領域において観察することになる。患者の治療は応用薬理学の勉強である。Bedsideにおける学生のこのような経験は、治療や診断や臨床カンファレンスによっても補われ拡充されるが、医学における科学的方法というものも強調されるのである。

2.患者から詳細に情報を入手すること、これらの情報を自分のもっている科学的基礎知識に結びつけること、そして土台となる専門書や最新の文献を開いて必要なところを読むことにより、自分の知識を広める態度を学生は学ぶのである。

3.学生は、自分がinternになったときに必要となることをよく知るし、interns, residentおよびattending physicianとともによく組織されたチームを作って密接な共同作業に当ったことから、患者をいかにして検査し、世話をすべきかということを学ぶ。かれが今後いろいろな病院で働いてゆく場合に、自分の能力を自分で判断することのできる基準となるべきものを身につけたことになる。

4.第3学年および第4学年における教官と学生との密接な結びつきは、優れた学生を見つけ出したり、優れた学生になることを助成したりすることを可能にする。

 

 

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訳者解説

解説の以下の部分は、この翻訳が発表されたときに脚注として述べられたものである。

著者のDr.Robergはボストン、ニューヨーク、ボルチモア、シカゴで学生および教官としての30年の経験を有し、さらにベルリン大学、ローマ大学の教授として活躍しているこの方面の専門家である。本論文は米国のbedside teachingについて、著者の経験をもとにして、ドイツの雑誌に紹介したものであるが、米国の臨床医学教育の理念と実際が明解に述べられている。この種の教育の内容は、教官から学生へ直接伝えられて今日にいたっており、文章になって紹介されたものが従来ほとんどないので、この論文には、われわれにとっても参考になる点がきわめて多いと思われる。米国の臨床教育は、たえず改められているが、その発展してゆく方向と本質を理解する上で、この論文はいつの時代になっても、貴重な資料としての意義を失わないであろう。

 

解説の以下の部分は訳者の現在のコメントである。

昨今米国の卒前臨床教育、とくにクリニカル・クラークシップに対して新たな関心が寄せられているということを聞いた。私は大学を定年で離れてから久しいので、教育の現状に疎いが、かつてDr.Robergが書いた論文は現在でも多少は参考になるのではないかと思って、ここに転載することにした。

米国で最近卒前、卒後の医学教育を受けられた赤津晴子医師が、その体験を詳しく紹介された2冊の著書(日本評論社)

アメリカの医学教育(アイビーリーグ医学部日記)1996

続アメリカの医学教育(スタンフォード大学病院レジデント日記)、1999

に大きな関心が寄せられているが、これは教育を受けた側からの貴重な体験といえる。

これに対して、Dr.Robergの論文は教育をする側、すなわちteacherないしeducatorとしての教育の経験と理念を伝えている。発表されたのは1965年で古いが、米国の臨床教育には年代を超えた基本的理念が貫かれていると思うので、今読んでも参考になるのではなかろうか。むしろ赤津医師の書物と一致する点を見出すことにより、米国の臨床教育の本質への理解が一層深まるのではないかと思考する。

私的な体験談になるが、私がこの論文のタイトルに興味を惹かれ、その内容を読んだときの感動が大きかったので、是非紹介したいと思い翻訳を決意した。これを読んだことにより、bedside teachingclinical clerkshipを基本とした特殊な教育方法、いわば固有名詞的な性格のものであると理解した。しかし日本では、病室あるいはベッドの傍に学生を連れてくればベッドサイド・ティーチングと言える、というのが今までの一般的な認識であって、ようやくこれを見直そうということでclinical clerkshipが脚光を浴びてきたものと考えられる。

私がこの翻訳を行ったころ、当時米国でインターンやレジデントを体験した多数の医師が帰国され、あちらの教育を熱心に紹介された。私はよく理解できたつもりでいたが、多くの方々は病室実習の範疇としてとらえておられた様子であった。。

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