訳者解説
(下記内容を一部訂正しました:2002年7月27日、2003年2月10日)
ここに紹介するドイツの医師免許規則は1999年11月10日現在のものです。
医師免許規則は、医学部に入学してから、医師免許を取得するにいたるまでの医師国家試験と卒前教育カリキュラムを詳しく規定しています。
1970年の大改定によって、本規則にみられるような基本形が作られ、1972年から実施されています。その後小さな改正を経て現在に至っていますが、2002年に再び大改定が行われます。したがって、本規則は間もなく過去のものになるわけですが、新しい規則と比較した場合、卒前医学教育の変遷を知るのに大変役立つと思います。また、すでに1970年に、臨床を重視したカリキュラムが作られていたことを知ることは、私たちにとって大きな刺激と教訓をもたらすことになります。その意味で、この翻訳には私なりの意義を感じ、全力を投入いたしました。
ドイツの医師免許規則を歴史的に顧みると、統一医師国家試験は1869年に北ドイツで発足しました。その後、その規則は1901年、1924年、1927年、1953年、1972年に大きな改定が行われています。
1869年当時の医学教育は5年で、国家試験は医師前期試験と医師試験の2回でした。1901年に医学教育は5年半に延長され、卒後1年間の実地修練が義務づけられました。1924年と1927年の改定により医学教育は6年に延長され、試験科目数も増加しました。1953年に医師国家試験は3回に増え、卒後の実地研修は名称を変えて2年に延長されました。そして1972年の大改革によりほぼ現在の形となり、国家試験は4回となり、1974年よりマルチプルチョイス方式の筆答試験が導入されました。卒後の実地研修は1年半に短縮され、仮免許の医師の資格を得て研修する形になりました。それまでドイツの医師国家試験は口答試験だけでしたが、1972年の改定により、口答試験のほかに筆答試験が導入されたことになります。
なお、2002年の改訂にみられる主要な点は、以下のように伝えられています。
「新しい免許規則では、第2学年までに実施する看護業務を2ヵ月から3ヶ月に延長する。医学の学習は最初から臨床と関連付けられ、基礎と臨床の教育の統合を強め、学際的で包括的な学習を充実させる。小人数教育をより徹底し、グループの学生数は患者のデモンストレーションのときは6人、患者の診察のときは最高3人までとする。学生数を減少させる。国家試験は2回に減らし、マルチプルチョイスは問題を少なくして、評価に占める重みを弱める。大学はその他の試験を大学独自で規定する。」
なお筆者は、1869年の医師国家試験規則の1887年改定版、1901年版、1924年版、1967年版、1970年版、1977年版の原文を持っているので、ご入用であればコピーを差し上げます。ただし、1901年と1924年の版はヒゲ文字のドイツ語です。
1871年(明治4年)にドイツ人医師ミュラーとホフマンが来日し、ドイツ医学がわが国に導入されました。そのさい、2年前の1869年に実施された北ドイツの統一医師国家試験の規則が、日本の医学教育に大きな影響を与えました。
ドイツは、自分たちの卒前臨床教育は、米国や近隣諸国に比べて遅れているという認識を持っていたようです。それでも、この医師免許規則を見ると、医師の養成に対する姿勢は大変厳格で、臨床教育に力を入れていることが伺え、教えられることが多いのではないかと思います。
2001年12月20日
岡嶋道夫(翻訳)