明治初期のドイツ医学導入と医師の開業試験

明治初期のドイツ医学導入直後に、医師たちが

ドイツ流の峻厳な試験におびえた話

 

厚生省医務局:「医制百年史」。ぎょうせい、昭和51年、64頁。

編集委員:大鳥蘭三郎(東海大学教授)、河野鎮雄(社会保険審査会委員長)、南崎雄七(日本医師会名誉事務局長)

 

 医制第三十七条は医師の開業許可制を定め、これに基づき京都府においては早速、明治七年十二月医務条例を定めて医師の開業試験についてその試験期日等を規定しているが、文部省は翌八年二月十日第三十七条の施行について三府に達し、医師開業試験の実施及び開業免許事務手続を示した。これによると、今後新たに医術の開業を行おうとするものは解剖学、生理学、病理学等の科目の試験を受け、その成続に基づいて開業免状を受くべきこととされ、一方従来開業の医師は試験を要せずに開業免状を受け、開業することができるとされた.

 医師の間では、この文部省達の発表を見るまでは、ドイツ流の峻厳な試験を開業医師に広く適用し、落第者は大家古老といえども容赦なく医業を禁ぜられるかのごとく語られていたことなどもあり一大恐慌をきたしていた面もあつたが、実際には以上のような内容の方針が示され、試験についても予期したほど厳しいものでなかつたため、一般的に恐慌状態は鎮静した.明治九年に至り、内務省はいよいよ各府県に対しても新規開業医師の開業試験を実施せしめるべく達(明九・丁一二 内達乙五)をもつてその要領を示し、準備を進めさせた。これは明治八年二月文部省から三府に達した達と同様の内容のものであつたが、ここにおいて各県はそれぞれ規則等を定め、逐次実施に移すこととなり、明治十一年にはほぼ全国に及んだ.