ドイツにおける開業医の需要計画(定員制)について
これは総説を書くつもりで書いたメモ書きである。しかし、これを完成させる余裕がなくなったので、出来上がっているところまでを掲載することにした。
序言
ドイツでは1993年以後、医療の需要に応じた給付を実行するために、中長期的視野で開業医の適正配置に取り組み成果を挙げている。簡潔に言えば、全国を医療圏に分け、家庭医と各種専門医の定員を定め、過剰な医療圏での新規開業を制限し、不足する医療圏での開業を促進するという方法である。この場合、すでに開業している医師を強制的に移動させるということはしない。
原理はこのように単純明快であるが、その制度の実施に当っては多数の現実的な問題の解決が必要となるため、周到なる準備がなされ、綿密な規定が作られている。今回の報告では、そのような制度の概略を紹介しようとするものである。
一般論として、今まで制度を紹介する論文は多数発表されている。しかし、制度を支える法規の条文は抜粋的にしか紹介されていないことが多いように感じられる。他方、論文は著者の主観によって構成され、制度については手続よりも理念の吟味にウエイトが置かれるような印象を受けることが多いため、読んでも実務的なイメージを得るのに苦労することが多いのではなかろうか。
そこで今回は関連する法規と指針を全訳の形で紹介し、かれらの実務に少しでも接近できるようにと考えてみた。しかし、読みやすい翻訳を作ることは筆者の能力をもってしては至難に近いことであったことをご了解いただきたい。また、基本法といえる「社会法典V」の該当条文は、重要ではあるが煩雑な面もあり、その翻訳に費やす時間も考えたとき、一部の紹介に止め、この報告を少しでも速やかに公開するのが望ましいのではないかと判断した。
この報告では筆者の主観を排除し、あくまでも客観的にドイツの制度を眺めていただけるようにと配慮した。とはいっても、煩雑な条文を読むことは大変難しいと思うので、主要と思われる箇所にアンダーラインを施して読者の便宜を図ることにした。
開業医定員制と医師偏在解消の概要
制度の現状紹介については、このフォルダのなかのスライドD221ご覧ください。
このスライドをご覧になるに当って、参考になる点を少し追加する。
ドイツでも以前は医師免許を取得すればいつでも開業できることになっていた。しかし、開業認可規則により、開業の条件として卒後研修が義務づけられるようになり、現在は全員が専門医資格(家庭医業務に従事する医師は一般医学専門医の資格)を必要とするようになっている。
スライドでは「専門医別」と表現しているが、正確な表現は専門の「医師グループ別」で、家庭医、内科、外科、などからなる。そのような医師グループの数は、制度発足当初の1993年は12であったが、その後14に増えている。また、医療圏の数も当初は447であったが、2008年には395というように変化している。1996年には医療圏数447、医師グループ数12で、医療圏の総数は5364。そのうち定員に満たない医療圏は1591で全体の29.7%であった。他方、2006年には医療圏数395、医師グループ数14で医療圏の総数は5530、そのうち定員に満たない医療圏は465で、8.4%に減っている。
発足当初は内科医と小児科医で家庭医業務を兼ねる医師が多かった。しかし、2004年に制度を改正して、内科専門医は、内科専門医としての業務のみを行って家庭医業務を放棄するか、それとも家庭医業務に専心して内科専門医の業務を放棄するか、の選択をしなければならなくなった。その結果、多数の内科専門医は家庭医業務を選択した。小児科医も同様。
開業医定員制度の概要について
第2次大戦直後の日本やドイツでは、戦時中に育成された多数の医師が軍隊から戻ったことによって医師過剰の現象が現われた。しかし、その後医学の進歩や公的医療保険制度の普及といった社会の変革により、徐々に医師不足の方に推移し、1970年代には先進諸国では医科大学の増設が活発となった。その結果、再び医師過剰の現象が起り、医師がタクシー運転手をしているといった医師の失業情報が外国から伝わってくるようになった。日本では東京都での開業制限のため埼玉県で開業した、という時期もあったようである。ドイツでも、開業医の地域による過密状態が深刻となる一方、医師不足の地域の存在も問題になった。それにより、以下に述べる開業の認可制限という制度が発生してきたといえる。
ドイツで医師が開業する場合には、「契約医に対する開業認可規則」という法律に基づいて認可が与えられることになっているが、必須の卒後研修を受けていることや一般救急業務に携わる能力を有することなどが審査される。
この法律は1957年に制定され、たびたび改定されている。1993年には問題となっている開業医の偏在を是正するために、中長期的視野のもとに、開業医の定員制に関する条文が新たに書き加えられた。この法律と、改定と同時に作成された「需要計画ならびに契約医の供給過剰及び供給不足を確定するための基準に関する合同連邦委員会の指針」に準拠して定員制が発足し、現在に至るまで着実に実行され、開業医の適正配置が進行している。
この制度を実施するにあたり、行政区域(医療圏)を定めた。その場合に、連邦交通・建築及び都市開発省の国土開発計画(Raumordnung)が、行政区域を人口密度や都市及び農村の型などの要素に基づいて10種類に分類したものを用い、各分類ごとに専門医1名当りの住民数を算出するという方法で、専門の医師グループの種類ごとの定員を定めた。住民数が増減すれば、それに比例して医師の定員数も変化する仕組になっているが、その計算方法については後述する。専門医の数が定員数の110%になると開業制限が敷かれる。
国内の地域は人口密度、居住地の種類、都市や村落の数と規模、経済構造、地理的条件、環境事情によって大きく異なるが、国土開発計画は総ての住民にできるだけ均等な生活の機会を与えるという憲法の精神に基づくものである。日本は明治初期に郡市町村というドイツ式の行政区分を取り入れたというが、両国の現状には違いがあると思われる。
「医療圏の分類と専門医1人あたりの住民数」の一覧表はスライドに示したとおりである。この割合は、医師過剰が問題にされていた時代に設定されたためかと思われるが、1993年から現在まで家庭医と内科専門医を除いては変わっていない。2004年に家庭医を充実させるための制度改革が行われ、多数の内科専門医と一部の小児科専門医が家庭医に転向するということがあった。
保険医というのは公的医療保険を扱える医師のことであるが、1993年に定員制が実施されてからは、その制度のもとで開業を認可された保険医を契約医と称することになった。
医療圏の数は、1996年には447を数えたが、2007年ごろには395になっている。詳しい事情は調べていないが、ベルリンという大都市の23医療圏が一つになったことなどがある。専門医の種類は当初は12であったが、最近は14となっている。
1996年の医療圏の総数は5,364(447医療圏×12専門医)、そのうち医師が定員の110%に達しない、つまり医師が供給不足である医療圏は1,591で、その割合は29.7%であった。2008年には医療圏総数は5,530(395医療圏×14専門医)、定員に達しない医療圏は465で、8.4%に減少した。開業認可制限は中期的にみて成果を挙げていることになる。開業認可制限が行われて15年経過した時点においても、充足度150%あるいは70%という医療圏が少し残っていたという。また、1993年にこの規則が発効する前年あたりには、開業場所を確保するために駆け込み開業をする医師が若干見られた。
D222は1996年の医師充足度を専門医別、医療圏別に地図で示したものである。この時代から現在まで共通している現象は、家庭医の充足度が相変わらず他の専門医に比して顕著に低いということである。1994年からドイツでは、家庭医として新規に開業するときは、一般医学専門医という専門医資格を取得しなければならなくなったが、一般医学専門医になるための卒後研修を引き受けるポストが不足していたことにも原因がある。医師会はそのような卒後研修のポストを充実させることに努力している。一方、欧州連合EUに目を向けると、理事会命令(1985年)によって、1995年からEU圏内で家庭医として開業を始める医師は、最低2年間の家庭医としての卒後研修を必須として義務づけている。ドイツでは2003年の卒後研修規則の改定により、家庭医業務に従事するには、2年間の内科研修のあと、3年間の家庭医としての研修を受けて試験に合格することが義務づけられ、「内科及び一般医学専門医」を標榜することになった。
開業認可制限という定員制によって、自分の気に入った地域で開業する自由は制限されるが、医師の間では大きな反対もなく受入れられた。このような規制がないと、狭い地域で限られた数の患者を奪い合うことになり、医師自身にとっても収入の減少というマイナスもある。ハンブルクは人口の多い大都市であるが、医療圏が一つであるため、医師の偏在が生じ、低階層の住民の住む地区の医師が不足しているという。
開業応募医師からの採用は開業認可委員会(保険医協会と疾病金庫から同数の委員)が行うが、その細部については「社会法典V」、「契約医に対する開業認可規則」及び「需要計画ならびに供給過剰及び供給不足を決定する基準に関する合同連邦委員会の指針」に記述されている。
開業認可の制度
開業認可の制度は、開業認可制限を含めて、つぎの2種類の法規と1個の指針によって構成されている。これらの内容紹介に入る前に、それぞれの規定の輪郭を説明し、ドイツの医療の特殊な法制度に簡単に触れてみることにする。
社会法典第5編(V)公的医療保険(連邦法)、社会法典V
この法律は「公的医療保険」というタイトルを有し、公的医療保険全般を規定する基本法的な性格をもつ膨大な法律である。公的医療保険の骨格部分、関連する諸事項の定義などを網羅しているが、その半面手続の具体的手順といったものも時として含まれ、関連する諸法規と緊密にリンクしている。今回翻訳した開業認可規則や指針にも随所に「社会法典V §○○」という形式の引用がなされている。その記述はきわめて厳密であるので、読みやすい日本語に翻訳することの難しい条文が多数存在する。それらの翻訳は筆者の作業時間を超える負担となること、またそれがなくても制度の概要は理解できると考えたので、今回は見送ることにした。この法律は314条からなり、その全文はGoogleで“SGB 5”の検索語で検索できる。これはトップに出てくるはずである。
ドイツ語が読めなくても該当する条文の体裁や容量を一見するのは無意味ではないであろう。また、一つの基本法の例として参考になるかもしれない。
ドイツでは社会保障関連の法規を社会法典の形式でまとめる作業が進められており、現在以下のように12の種類がある。
SGB I 総則
SGB II 求職者のための基礎保障
SGB III 労働の促進
SGB IV 社会保険通則
SGB V 公的医療保険
SGB VI 公的年金保険
SGB VII 公的傷害保険
SGB VIII 児童少年扶助
SGB IX 障害者のリハビリテーションと参画
SGB X 行政手続と社会データ保護
SGB XI 公的介護保険
SGBXII 社会扶助
契約医に対する開業認可規則(連邦法)
開業認可規則は1957年に制定されたが、1993年に開業医の定員制に関する規定を新たに加えた。この規則もたびたび改定されているが、ここでは2008年版を全訳した。この制度を実施するのに必要な事項を、あらゆる角度から規定している詳細な内容である。しかし、制度の概要を把握するには全部に目を通さなくても、アンダーラインを付した箇所を読めばよいように配慮した。
需要計画ならびに供給過剰及び供給不足を決定する基準に関する合同連邦委員会の指針
これは開業認可規則に基づいて開業医の定員制を実施する場合に発生してくる各種の問題点を解決するための実務的なものである。ドイツでは指針、手引、スタンダードという名称によって拘束力に違いがある。ここで紹介する指針は拘束力が強く、違反は処罰の対象になりうるものである。また、合同連邦委員会というのは社会法典Vによって設けられて いる委員会で、社会法典V§91共同連邦委員会、同§92
共同連邦委員会の指針、に委員会の構成と任務、指針について詳しい規定が示してある。共同連邦委員会は公的医療保険の広範な給付内容を指針の形で決定するので、日本の中医協を大きくしたようなものといえるかもしれない。この共同連邦委員会の任務はホームページの扉に掲載されているので以下に紹介する
合同連邦委員会(Gemeinsamer Bundesausschuss,
G-BA)はドイツにおける医師、歯科医師、精神療法士、病院及び疾病金庫の合同自主管理の最高決議委員会である。委員会は、7千万人以上の被保険者に対する公的医療保険(Krankenversicherung, GKV)の給付カタログを指針Richtlinienの形で決定する。その他に、G-BAは保健医療の診療所及び病棟の領域に対する質保証の対策の決議も行う。
不十分な解説であるが、多少なりともお役に立てば幸いである。
2010年9月
岡嶋道夫