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M405

ドイツの医療と医療制度

追加:医師の職業裁判所の判決

東京医科歯科大学名誉教授
岡嶋道夫

実務的資料はドイツで30年の家庭医経験を持つ
柴田三代治医師が提供して下さいました

 

これは地域医療評議会の清水東氏が主催される市民医療大学セミナー
第164回(吉祥寺、1999年9月26日)
において発表した講演内容を一部加筆修正したものです

ホームページ http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m405.htm

に1999年10月10日掲載;加筆修正1999年10月20日、1999年10月26日
okajimamic@hi-ho.ne.jp

目次
日本とドイツの医療

救急業務体制について

医療費に関連して

介護保険について

おわりに

追加:医師の職業裁判所の判決

日本とドイツの医療制度

日本の医療制度、つまり健康保険の制度や、これから導入しようとしている介護保険は、いずれもどこかの国を真似ています。

どこの国でしょうか? それはドイツです

日本は明治の初めにドイツから医学を学び、戦後はアメリカなどから医学を学んでいますが、現在も厚生省はドイツの医療保険制度や介護保険制度を参考にして政策を決定しています。それは、ドイツでは大変成功しているからです。

しかし、不思議なことに、ドイツで成功している医療が実際にどうなっているかについては、私たちは何も知らないのです。おそらく当の厚生省の役人も詳細は殆ど知らないと思います。

どうしてでしょうか?

ドイツで新しい試みが始まると、その情報は日本の役所に伝わるようです。

そして、役人は日本で真似できそうなことを、すぐに法律にして実施するという器用さはありますが、手抜きの真似事で終る上、役人は頻繁に部署を替えたりするためでしょうか、あちらの伝統を理解する余裕がないようです。

このような大変大きな落とし穴がある、ということが私には分ってきたのです。

また最近は、アメリカの医療制度に興味を示す人たちが現れました。たしかにアメリカの医学研究と医学教育は世界一の定評がありますが、医療制度は先進国の中ではもっとも遅れている方です。お金のある人は良い医療をうけられますが、経済的に弱い人たちは貧弱な医療しか受けられません。保険のない人が4千万人もいます。

アメリカが営利会社組織で行なっているHMOという医療システムがありますが、会社のトップは高額の収入を得ているのに、被保険者は大変窮屈な思いをしています。会社と契約している医師にしか診てもらえない、病院も指定されてしまう、治療も安くあげるように要求されるという具合です。さすがに、その弊害に多くの人が気付き、改める動きが起ってきています。

そのようなシステムを日本が真似するのではないかと心配になっていたのですが、その弊害が明らかになってきたので、そこまで進むことはないでしょう。

そうなってくると、日本の制度をもっと良くするには、どの国を参考にしたらよいかということになります。基本的にはヨーロッパで、ドイツが大変参考になると私は思います。その一つの理由は、ドイツも日本も医療を公的な保険制度で行なっているからです。

ちなみに、医療を保険制度で行なっている国は、ヨーロッパの中央部の6カ国、つまりドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、オーストリア、スイスです。これに対して、その周辺諸国、つまりイギリス、北欧、ラテン系の諸国では、保険でなく租税で医療を確保しています。しかし日本は、保険と税金を混ぜ合わせた形ですから、保険が足りなくなれば税金で出せ、といった攻めぎあいが生じています。

ドイツでは: さきに述べたように、日本はドイツの制度を参考にしています。それではドイツも日本と同じ問題点を抱えているかというと、そうではありません。

そのことを、これから少し説明してみたいと思います。

最初に、医療保険に対するドイツ人の満足度を示した統計を示すことにします。

医療保険に対する満足度(%)

 

公的医療保険

被保険者本人 

民間医療保険

加入者本人

とても満足

18

15

満足

78

77

不満足

(ドイツ医師会雑誌1996年11月1日号)

それでは、ドイツの医師はどのような診療を実際に行っているのでしょうか。

家庭医の業務

ヨーロッパ30ヵ国のプライマリケア医師からの回答

診療所で日に患者40人以上診療する家庭医の%

診療所の外で週に15以上の往診をする家庭医の%

ドイツ

62

ドイツ

76

オーストリア

51

オーストリア

76

イギリス

17

オランダ

60

スイス

15

イギリス

55

オランダ

14

スイス

デンマーク

ノルウェー

フィンランド

デンマーク

ノルウェー

フィンランド

(ドイツ医師会雑誌1996年11月15日号)

ドイツの医師は、自分たちが勤勉であることに誇りを感じているようです。

また、最近ヨーロッパ14カ国で行われたアンケート調査によると、ドイツは調査項目のいくつかにおいて、14カ国の平均をはるかに超えていると喜んでいました。そのような項目の一つとして、ドイツの患者の95%以上が、自分の家庭医を替えたいと思う根拠は全くない、と賞賛しているそうです。

また、緊急な健康上の問題が生じた場合(救急)に、家庭医は迅速に対応してくれると患者は高く評価しています。また、患者のデータをよく見てくれるので信頼できるとも評価しています。しかし、一方において、医師と患者のコミュニケーションにもっと時間をかけること、家庭医の診療所における待ち時間を改善することを患者は望んでいるそうです。

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救急体制について

次に、国民の満足を得ている救急体制について述べてみましょう。

ドイツでは土、日と水曜日の午後が休診日になっています。

はじめに、ドイツの医学部を卒業され、ドイツで30年間家庭医として開業されている柴田三代治医師からの手紙の一節を引用します。

「医師、とくに健康保険医は、日中は必ず連絡可能な状態にあることが必要です。往診中なら看護婦か奥さんが電話に出て連絡をとります。長時間不在にする場合は、必ず同僚または近所の医師にこのことを報告し、承諾を得る必要があります。土、日と水曜日の午後と夜間 (19時から7時まで)は救急勤務が当番制で回ってきます。ですから、24時間、ホームドクターが、もしホームドクターが差し支えあるときはその同僚が診てくれます。また夜中と休日なら必ず救急医がいることになります。交通事故または急患(倒れて意識不明とか路上で苦しんでいるとか、素人目でみても緊急である場合とか)の場合は直接救急車を呼ぶ場合もあります。」

つまり、患者は一年中24時間、いつでも医師にアクセスできる状態になっています。また医師職業規則により、医師は自分の患者に対しては必要があれば診療時間外でも診療に当たることが義務づけられていますが、それができないときは同僚医師または救急当番医が診ることになっているのです

そして、救急車は3種類あります(管轄は自治体)。

最近NHKのテレビを見ていたら、ドイツ全土にヘリコプターが60台あまりあり、1日1台3回出動すると言っていたようです。

救急は現在の私たちにとって大変大きな問題ですので、ドイツで開業しておられた柴田先生のお手紙の内容をもう少し詳しく伝えすることにします。

ドイツでも開業医が診療時間外に診療しない(または出来ない)という状態があったために、救急当番制を作ったそうです。そして病院に搬送された場合、専門外の当直医師しかいない、ということはあり得ないことで、病院には必ず内科、外科、産婦人科の専門医がおり、また病状によって神経外科、脳外科、精神病、心臓外科治療が必要な場合は、一応緊急措置をとった後で再輸送することになるとのことです。

本によるとドイツの一般病院はすべて救急病院になっています。このような一般病院は、その半数以上が州、郡、地方自治体による公立病院で、残りが自由公益病院で教会および自由社会福祉事業連合体が開設者になっていて、日本のような個人病院はありません。

開業医は全員救急業務に参加することが義務づけられています。病気と妊娠出産のときは除外されます。さらに柴田医師は、「眼科、耳鼻咽喉科、歯科は独立した当番制を持っています。それ以外の専門は、例えば外科、産婦人科、整形外科、内科、皮膚科などは、科を問わず救急当番が回ってきます。内科的疾患の場合でも、このケースが入院看護の必要があるかどうかは、他の専門の医者でも判定できます。心筋梗塞と診断、またはその症状があれば、早速医師同乗の救急車を来させます。治療は救急車の医師がします。医師の添乗が不必要のときは、医師の乗っていない救急車(病院車)を呼びます。

つまり、他の専門の医師でも、風邪くらいは治療できるはずであり、重症と診断した場合、または病名不明の場合に入院させるかどうか位は判るはずです。」と書いておられます。

ドイツの開業医は救急業務に携わっている間は、救急についての生涯研修を継続することが義務づけられています。30年ほど前でしたが、「眼科医は内科的な疾患の救急業務ができるだろうか?」「いや、眼科医であっても医師だから、救急隊員に任せるよりはましだろう」と言ったことが書かれているのを目にしたことがあります。

柴田医師によると、ドイツでは開業医が時間外診療をしなくなった、というので救急業務規則を作って、開業医全員に義務づけたそうです。正確な歴史は知りませんが、40年くらい前ではなかったかと思います。その頃に比べると、救急業務規則は何度か改訂され大変充実したものになっていますし、眼科や耳鼻咽喉科は独自の救急体制を取っています。

ドイツではこのようにして、皆が満足できる救急業務が普及しています。

ちなみに、柴田先生のご経験によると、人口2万人の地域での開業ですが、土曜日の昼間は外来20人、往診10−15回、夜間は(夜8時から朝8時まで)外来4−5人、往診3−4人だそうで、日曜日は10%増し。季節により、また流行病により大差があるとのことです。

慢性患者の症状が急に悪化した場合は、主治医に連絡がつけば結構ですが、時間外ならば当番の医師に電話することになります。医師の救急当番表は2、3ヶ月前には作成され、役所、警察、消防署、薬局などに配布されます。

ドイツでは土、日と水曜日午後が休診日になっていると申しました。ドイツの医師には生涯研修が義務づけられていて活発に行なわれていますが、それは水曜日の午後と土曜日(日曜日にも少しある)に集中して組まれています。今年の7月から、規則がさらに充実し、3年間に規定の単位の生涯研修に参加すると、証明書が交付されることになりますが、これは開示されるとのことです。

ところで、家庭医の患者を同僚の医師、救急当番医、専門医、病院の医師が診療した場合、どうなるか。患者が取られてしまうのではないか、と心配するかもしれませんが、そのようなことはありません。これらの医師は、頼まれた診療、あるいは専門的な診療が終ったら、その報告書をつけて患者を速やかにか家庭医に戻す義務があり、ごく当たり前のことになっています。それを怠ると、医師会で罰せられたり、医師の職業裁判所で裁かれたりする結果になります。

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医療費に関連して

次に患者の医療費負担について考えてみますが、最初に国民が社会保障(公的、義務的)に支払っている保険料の額を示しておきましょう。

公的保険の種類と保険料率

総所得に対して 1998年

医療保険

13% - 14%

介護保険

1.7%

老齢年金保険

20.3%

失業保険

6.5%

災害保険

1995年 1.46%

1996年 1.42%

1997年 1.40%

 

ドイツでは医療費は全部保険料収入で贖っています。研修医や看護婦さんの研修というような、将来の医療供給に必要となる教育の費用もそこから支出しています。しかし、社会扶助(生活保護のような)、戦争犠牲者など、国が面倒をみる必要のある人たちの医療費は、一般の被保険者に負担をかけずに、国が負担します。

次に、身近な例として「患者の自己負担」について考えてみます。日本では2年前の9月に自己負担の制度が変わり、薬の計算が大変複雑になり、高くもなりました。

実はドイツでも2月前の7月に自己負担が増額になり、薬局などでの支払が増えました。

それだけ聞くと、日本はドイツの真似をして、同じことをやっていると思われるでしょうが、深く観察すると、両国の間には大きな違いのあることが分ってきます。ドイツの自己負担をいくつか示すと:

ドイツの薬局で支払う自己負担は、薬の包装の大きさで3段階になっています。薬の種類や値段には関係ありません。

小包装(20錠)− 9マルク

中包装(50錠)− 11マルク

大包装(100錠)− 13マルク

マッサージ、医療体操など − 費用の15%

その他:交通費は9マルクまで;入院費1日17マルク(14日を超えると支払う必要なし);など何種類かの自己負担項目があります。

注目すべきことは、診療所では診察カードを見せるだけで、お金を支払う必要はありません。

しかも、自己負担は被保険者の3分の1、つまり2400万人は支払う必要がないのです(内訳は:990万人が低所得者、1400万人が18才以下の子供)。

18才以下の子供に自己負担が掛からないのは、自己負担のために親が子を医師に連れて行くの躊躇ってはいけないからという配慮もあります。これによって、憲法の規定「6条(2) 子供の養育としつけは両親の自然の権利であり、親の義務である。国家的共同体はその実行を看視する。(ドイツ語のニュアンスを上手に翻訳できませんが)」を実践していることになります。

自己負担で、日独の違いをもう一つ紹介しておくと、自己負担する総額は、その年の収入の2%までとなっていること。それを超えて支払っていると、年度末に領収書を提出することにより、超過分が戻ってくる仕組になっています。始めから自己負担が必要ないと分っている人には、その証明書が交付されます。

1997年に自己負担が2%の線に達した人は27万人いました。慢性疾患の場合には、同じ病気で前年度に2%自己負担していれば、翌年からは1%に軽減されます。該当者は5万6千人でした。

風邪薬や旅行の時の酔い止め、小額の治療材料は医療保険から出ませんが、かりに家族が何人も大きな病気をしても、その年の年収の2%以上を医療費として準備する必要はありません。

このような自己負担は、120〜130億マルクに達しています。日本では自己負担分はどの位になるのでしょうか?

ドイツの医療政策は公的医療保険という社会保障制度に徹しています。すなわち、1割弱の所得の高い人を除いた総ての国民は、公的医療保険に強制加入させられています。公的医療保険の基本はお互いに助け合うという連帯の精神です。つまり、「老人と若者、女性と男性、就業者と家族、健康者と病者、豊かな人と貧しい人が、平等に医療を受けられる」ということです。

民間の保険ですと、リスクというものが考慮されることが多く、たとえばすでに病気になっているとか、病気になりやすい素質を持っている人の保険料は高くする、あるいは保険に加入させない、ということが起ります。しかし、ドイツの公的医療保険では、このようなリスクを一切考えません。日本の医療保険も同じです。

ドイツでは、「個人の所得の額とは関係なく、たとえ低所得者でも高度の医療が平等に受けられること」を基本にしています。つまり、心臓移植や、人工股関節などの高額の医療が、所得が低いからと言って不利になることがありません。ドイツの厚生省は、「ドイツと比肩し得る先進工業国の中には、裕福な人が優先的に良い医療が受けられるという、つまり二層制医療の国があるが、ドイツにはそれがなく、またそうならないように努力している。」と述べています。

しかし、どこの国でも、医学の進歩、進んだ医療を受けたいという国民の希望、そして長寿化によって、医療費は年々増額しています。ドイツも日本も例外ではありませんが、ドイツは節約に努力する傍ら、患者の自己負担によって調整を計っています。

ドイツは、新しい医学の成果を提供することに努めています。そうするとお金が当然掛かってきます。そのお金を、保険料の値上げで確保しようとすると、保険料の支払には労使折半の大原則があるので、雇用者と被雇用者の両者にとっての負担増となり、経済競争で不利になります。それを避けるために、自己負担という形で負担を分散させています。しかし、そのような手段もやがて限界が来ると考え、医療費の効率化のために、アメリカとは違った発想でのマネージド・ケアを模索しているようです。

最後に、ヨーロッパでも優等生と言われるような医療を提供している開業医の収入について述べてみます。今から10年近く前の調査結果ですが、総ての医師の平均で言うと、看護婦さんの給料などの人件費、診療所運営の物件費という必要経費は、総収入の約50%、それから所得税、年金や医療保険の保険料などを差し引いて、本当に使える手取り額を算出すると、1時間当りの手取額は中級サラリーマンと同じくらいだそうです。しかし、サラリーマンは週37.5時間しか働きませんが、開業医は55時間働いているので、その時間数の多い分だけ手取りの所得が多いことになります。

同じ頃スイスでも開業医の収入の調査が税務署の書類に基づいて行なわれましたが、ドイツと比べて略同じか、多少良いといった程度でした。そして過去18年間に物価は100.9%上がっているのに、医師の平均収入は52.4%しか上がっていない。一方、サラリーマンの給料は142.0%上昇して、医師の購買力は下がっていると書いてありました。

ドイツの医師の場合、しっかりとした医師のための老齢年金基金があり、1995年の統計によると、56 999人の退職医師が月額3826マルクの年金を貰っているそうです。これだけあれば、ドイツでは一応余裕をもって老後を過ごすことができると思います。

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介護保険について

介護保険(保険)による国は:オランダ、オーストリア、ドイツ

介護サービス(租税)による国は:イギリス、北欧諸国

介護保険・サービス(保険と租税)[筆者の造語]の国は:日本

ドイツでは、医療保険は厚生省、社会扶助から出発した介護保険は労働省に作られましたが、介護金庫は医療保険を扱う疾病金庫の中に作られました。そして1999年に介護保険は厚生省の管轄に移りました。ドイツでは20年以上の検討を重ねた上で、

1995年1月1日より保険料(保険料率は所得に対して1.0%)の徴収を開始。

1995年4月1日より在宅介護給付が開始。

1996年7月1日より施設介護給付が開始され、保険料率は1.7%に引上げられた。

1997年の統計によると:

在宅介護

施設介護

給付受給者

1 170 000人

430 000人

介護度T

月額

介護手当

現物給付

400マルク

750マルク

45.6%

2 000マルク

31.5%

介護度U

月額

介護手当

現物給付

800マルク

1 800マルク

42.1%

2 500マルク

41.9%

介護度V

月額

介護手当

現物給付

重症

1 300マルク

2 800マルク

3 750マルク

12.3%

2 800マルク

 

3 300マルク

26.6%

 

日本と著しく異なる点は、要介護と介護度を判定するのが研修を受けた医師であること。その判定に不服のときは再審査を申請する。再審査は別の医師が行なう。その判定に不服のときは社会裁判所に訴えることができる。社会裁判所は医療保険、介護保険など、社会保障に関連する領域のための裁判所で三審制である。裁判官には本職の裁判官の他に、社会保障に従事している人が名誉職裁判官として加わり、専門的な知識をもって審査するが(参審制)、手続は迅速のようである。

昨年末で介護保険を実施して3年を経過しましたが、多額の黒字を残してしまいました。その理由は、在宅介護において、現物給付より介護手当を希望する人が予想以上に多かったからです。その黒字をどう処理するかで苦労しています。また、介護度の審査と介護の実際については、事前の不安と異なり、国民はおおむね満足している結果が出ているそうです。

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おわりに

ドイツの医療制度は一朝一夕の産物ではなく、社会保障制度に取り組んできた人間の英智の積み重ねによって築き上げられたものであることにお気付きになられたと思います。

日本人の目はアメリカなど英語圏に向けられており、厚生省以外はドイツに無関心であるというのが実際でしょうが、ドイツの医療制度は安定した基盤と多くの長所を持っているので、この辺でドイツを見直して勉強することは有意義と思います。そのような意味で、私はドイツの規則類の翻訳をホームページに掲載することを老後の楽しみとして選びました。下手な訳文で恐縮ですが、漠然とした雰囲気を知るということで、お暇があったら開いてみて下さると幸いです。

http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/

e-mail: okajimamic@hi-ho.ne.jp

ドイツの医療については、まだ色々語ることがあります。また、これから調べる価値のあることが多々あると思います。

本日はその中から、日本ではほとんど紹介されていないと思われることを、いくつか取り上げてみました。

以上

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追加:医師の職業裁判所の判決

この講演のあとに出席者から多数の質問を受けました。その中の一つである「医の倫理教育をどのように考えるか」という質問の答を、多少補足してここに紹介いたします。

私は平生思っていたこと、すなわち「医の倫理については講義で教えられるものは少なく、実践の場で規則や指針などに従って習得するものであると考えているので、それを習得できる環境が整わなければならないと思う」と答えました。そのような重要な環境の一つが、「医師の職業裁判所」という日本には存在しない制度で、そこでは医師の義務・倫理違反が審理され、相応の刑罰が決定されます。このような厳しい審判を下す制度はドイツだけでなく、他の先進諸国にも存在すると思いますが、不思議なことに、これだけ医の倫理が問題になっている日本では、専門家もほとんど問題の対象に入れておりません。

医師の義務・倫理違反については、日本にも医道審議会というのがあり、処罰が行われていますが、以下に述べるドイツの裁判所の判例をご覧になると、そのレベルに大きな差異があることがお分りいただけると思います。

言葉が適切でないかもしれませんが、「赤ひげさんのような医師」を医師の一つの理想像としますと、日本では赤ひげ医師が出現するのを、ただ漠然と期待するだけです。しかし、ドイツを見ると「医師の職業規則」などの規則や、各種の指針類によって医師の義務・倫理が明確に示され、それに違反した医師は医師会規則や公務員規則の懲戒規定で処分を受けるだけでなく、場合によっては「医師の職業裁判所」で裁かれることになります。このような制度の下では、医師は皆「赤ひげ医師」になることを義務づけられていると言えます。上に紹介した救急業務が守られているのもそのような制度が機能しているからです。

ところで最近、ドイツの医師職業裁判所の判決集を入手しました。加除式で内容は時々更新されますが、厚さは12cmほどあります。裁判所の制度や構成などの専門的なことは、私のホームページで紹介しておきましたので、関心のある方はご覧下さい。ここで注目すべきことは、裁判官には専門職の裁判官と医師会から選ばれた医師の裁判官の2種類があり、合議制で審理を行なうことです。

判決を紹介するのがもっとも分りやすいと思いますので、最初に拾い読みした判決を3つほど以下に短く紹介します。

その前に再び、ドイツで開業されていた柴田三代治先生から今年2月に頂いた手紙の一節を紹介します:「患者への処置を電話の指示で済ませることはできるが、私の場合は、初めての患者のときには、何があるか分らないので必ず往診して確かめることにしています。」これを念頭においてケース1をお読み下さい。

ケース1(1991年の判決).夜間の救急当番に当たっていた一般医が、救急センター(事務的に連絡するだけ)を通して午前4時35分に急患の連絡を受けた。妻は心臓疾患の既往はないが、呼吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴えているという内容の夫からの電話であった。また、6時10分にも再度同様の電話連絡があったが、2度とも電話で指示を与えただけであった。7時35分に家庭医が診て心筋梗塞と診断し、それはその後心電図で確認されたというケースである。職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような重篤な疾患を疑わなければならない状況であったのに、そのような判断をせず、患者や家族のために往診をしなかったことは義務に違反するとして、戒告と2000マルクの罰金を科した。

柴田医師の述べていることが理解できると思います。

ケース2(1981年の判決).W地区で開業してる女医が20km離れた別のB地区に引っ越した。3週間に1回回ってくる夜間の救急当番のとき、最初は診療所に泊まっていたが、その後夜10時以後は20km離れたB地区の自宅に戻り、留守番電話で自宅に連絡が取れるようにした。電話連絡を受けてから20km離れた診療所に車で行っても20分は掛かる。この分の時間延長は重大な疾患のときには深刻な結果をもたらす。また、電話を掛けずに診療所に直接来た患者は無人であるため、病院に行かなければならなくなった。そして苦情が多数寄せられた。そこで母親が病気であった女医は、1年後に代理医を置くことにしたので、このような苦情はなくなった。職業裁判所は、最初は診療所に泊まり込んでいたから、その女医は救急業務の重要性を良く知っていたはずであるのに、その後代理医を置かずに自宅に戻るようになったことは、医師としての義務違反で処罰に相当するると判断したが、しばらくして代理医を置くようにしたという状況を考慮すると、戒告処分にとどめておくのが相当という判決を下した。

私の読んだある州の救急業務規則には、救急業務の当番時間内は受け持ち地区の外に出てはならないという規定があります。従って、該当地区外に住んでいるかかりつけの患者から当番時間内に往診依頼があった場合には、たとえ自分の患者であっても地区を離れることができないので、患者の住んでいる地区の救急当番医に往診を依頼することになっています(ただし、生命に危険のある場合は例外が認められます)。

ケース3(1984年の判決).研修医が外科の専門医の認定を受けるために提出した手術のリストに、自分が執刀していないかなりのケースを、自分が執刀しているかのように書き込んだ。外科の部長医は、書類ができていますという医長の言葉をそのまま受けて署名し、病院の証明として提出した。職業裁判所は研修医に罰金2000マルク、外科部長医にはリストを抜き取り検査もしなかったということで罰金8000マルクを科した。しかし、第2審で部長医の罰金は2000マルクに減額された。

前世紀の中頃から、医師の名誉と信頼を確立しようとする動きが各地の医師組織によって進められ、このような医師の職業裁判所を設立する運動が起こりました。しかし、前世紀の終りに、有名な宰相ビスマルクは、職業裁判所は国の法律で定める必要はなく、州が扱えば良いことであるとしました。しかし、医師たちは熱心に活動を続け、1935年に国の法律が出来上がりました。しかし、敗戦によってドイツは連邦制になったためと思いますが、戦後は州の制度として実施されています。ドイツだけではなく、各国の良識ある医師たちの行動に、私たちは今からでも、いや今だからこそ学ぶべきものがあると思います。

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