私が医療制度研究を始めた動機と経緯
筆者がどのような動機でドイツの医療制度に関心持つようになったかの経緯を述べてみよう。
1964年にドイツ・フンボルト財団の奨学生としてドイツに留学し、ミュンスター大学人類遺伝学研究所で古典的な研究論文を作成し帰国した。その当時は医療制度などに全く関心のない人間であったが、当時勤務していた順天堂大学医学部で教務委員に任命され、学内の試験規則を検討せよ、という任務を頂いた。当時は基礎から臨床に移るときのバリヤーをどう設定するかで困っていた。
そこで、ドイツから持ち帰った医師国家試験規則を始めて辞書を引きながら読んだところ、あまりの厳格さ、そして筋の通った試験の理念にカルチャーショックを受けた。日本の制度はこれでよいのかという深刻な気持になり、ドイツで知り合った教授から関連する資料などを頂くことになった。日本がドイツから医学を学んだのに、どうして試験制度が違っているのかという疑問を感じた。ドイツが医師国家試験を全国統一で行うようになったのは、ドイツ人医師によって日本にドイツ医学が導入された2年前の1869年であった。
ドイツの教授が送ってくれた資料により過去の試験規則だけでなく、医師職業規則、専門医制度などの知識を得ることになった。折にふれてそれらの内容を発表したが、当時はドイツに対する一般の関心は薄かった。この研究は数年続けたが、忙しくなり定年まで15年ほど空白の時代が続いた。68歳になって暇になったとき、ドイツの医療事情はその後殆ど伝わってきていないことを知り、手探り状態でドイツの制度研究を再開することになった。
ところで、私がドイツで医師国家試験の規則を入手した経緯について述べてみよう。留学中のある日、研究所に研究に来ていた医学生が冊子を真剣な顔で読んでいた。普段と違う真剣さであったので、思わず「何を読んでいるの?」と質問したところ、これから受ける医師国家試験の規則ということであった。この冊子は大学の全学部の試験規則も載せているもので、町の本屋に山積みになっていた。何の気なしに1冊買って帰国することになった。もし、私がこの学生が真剣に国家試験規則を読んでいるところに声をかけなかったら、この冊子を入手することはなく、この規則でカルチャーショックを受けることはなかった。そして、ドイツの制度に興味を持たずに今日に至った可能性は強い。規則を読んでいる学生に遭遇したこという奇跡、なんと表現したらよいのだろうか。
このようなわけで、定年後に昔受けたカルチャーショックと、当時日進月歩の様子が伺われたドイツの医療制度への魅力に惹かれて、ドイツの医療制度の勉強を再開することになった。指導してくださる先輩、情報を交換する同輩、あるいは意見を交わす後輩が見つからず、孤独な勉強とホームページへの発表を続けることになった。
定年後の研究再開当時は、資料は印刷物しかなく、それをどのように入手するかについて迷った。幸いドイツの友人からもらった医師会の医師の規約集がその足がかりになり、日本医師会図書館のドイツ医師会雑誌とその中の新刊書案内が資料入手に大変役立った。しかし、2000年代に入ると、インターネットが急速に普及し、ドイツは医療関連の規則、資料、業務報告をそれぞれのホームページで公開し始めた。その充実ぶりは目覚しく、現在は重要な資料の殆ど総てを見ることができるようになったが、いずれも自由に無料でダウンロードできる。その一例として、ドイツ連邦医師会雑誌や多くの州の州医師会雑誌はその全文を過去にさかのぼって閲覧でき、ダウンロードできるように配慮されているので、もはやインターネットだけで十分といえるような時代になってしまった。
また、ドイツの医療制度全般の動向は、連邦医師会雑誌がオンラインで無料で配信するNewsletterで把握することができるようになった。週に70本以上のニュースが配信され、その内容は正確で信頼性があり、迅速で、そこからオリジナルの資料や法律にアクセスすることができる。たとえば大臣や医師会長など、組織の責任者の発言という形式で報道されるものが多い。ニュースは200語程度のものが多いが、内容によっては数倍に及ぶ。最近は継続性のある物件では過去のニュースへのリンクがついているというサービスぶりである。日本と大きく違う点は医療事故関連のニュースは皆無に近く、国際的ニュースになるようなものだけである。Newsletterはドイツ医師会雑誌のサイトhttp://www.aerzteblatt.de から簡単に配信を申し込めるようになっている。ドイツ語という壁はあっても、ドイツの医療制度全般の動向は身近なものとして把握できる時代に変化した。
ところで、ドイツの医療制度研究に当って心得ておかなければならないことがある。それは、医療に関しては連邦レベルの法律が少ないということである。社会法典 V 公的医療保険の基本法と言えるもの、連邦医師法、医師免許規則(卒前教育カリキュラムと医師国家試験)、病院財政法といったものは連邦法であるが、その他の重要な規則類は州レベルのものが多く、しかも州の法律ではなく医師会レベルで制定されているものが少なくない。医師職業規則、卒後研修規則(専門医の規則)、裁判外紛争処理などの重要な規則や指針は医師会が制定するので、その業務実態は医師会などのホームページに掲載される。このようにドイツの医療制度は州レベルで制定されるものが多いが、総ての州は互いに連携をとり、規定内容がドイツ全土に共通するように務めているので、一つの州を調べればドイツ全体の様子が把握できる。
仕事を続けるうちに、筆者と同じ視点で同じ領域を調べている人が日本にはいないらしいということも分かってきた。最近になって、ホームページとドイツの医療に注目が集まるようになり、厚労省やマスコミなどから声を掛けられたりするようになった。
しかし、3年あまり前から、「ドイツではこうなっている」という表面的な情報の紹介だけでは空しく、医療改革の本質が伝わってこないことが分かってきた。つまり、そのような制度がどのようにして作られているかという基本が把握できないからである。そこで思いついたのは、制度の骨格をなす規則や指針類の内容を理解し、足を地面に踏みつけた研究姿勢が必要であるということでああった。その目でみると、そこまで踏み込んだ情報が私たちの手元には届いていないことが明らかになった。そこで、「開業医適正配置」と「病院計画」というドイツの医療の根幹を形成する二つの制度の資料を作成することを決意した。筆者の体力の限界のため不十分な部分が残っているが、私たちが気づかなかった制度の詳細なプロセス、それを作って取り組むかれらの英知と熱意を発見できるのではないかと思う。このような調査研究方法は、それだけに大変な作業になるが、医療制度を本格的に研究しようとする場合には、避けて通ることのできないストラテジーになることを期待している。
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