ドイツの医療制度を学んで強く感じていること
ドイツの医療制度研究を経験して感じたことをお伝えしよう。
私は生命倫理や先進医療などアカデミックで高尚なテーマを追究する医事法学、あるいは医療経済とは対照的に、ホームページに掲載したような泥臭くて目立たない日常の医療を規定するドイツの規則類、たとえば医師職業(倫理)規則、卒後研修規則、救急業務規則あるいは今回取り上げた開業医適正配置や病院計画などのような医療行政に近い資料の紹介に努めてきた。それらには近代医療を推進するのに、医療費とは別次元の不可欠な各種の重要な要素が多数含まれている。それだからこそ、かれらはこのような規則類を作って義務化に努めてきたのだ、ということを意識しなければならない。しかし、日本の人はこのような近代医療の構築に必要な要素は常識で分かっていると軽く受け止めるだけですませ、それらをルール化して義務づける意識が不足したため、諸制度や医療に不徹底や歪曲といった結果が生じて積み重なり、現在見られる医療崩壊に繋がりかねない医療の混乱があらゆる面(医の倫理、医師の資質、医療供給の調整など)で生じたと言っても過言ではないと思う。私が翻訳して紹介した資料について、日本の医療政策と医学教育を牽引すべき立場にある方々に、そこまで理解してもらえるように努力できなかったことを残念に思っている。
もう少し具体的に説明すると、現在ドイツでは「開業医の適正配置」や「病院計画」が中・長期計画として順調に進行しているが、この事実はあまり知られていない。断片的な情報が伝わっても、私たちの世界とは次元が異なるものとして、その行動は神秘的なものとして見過ごされてしまいがちである。
その意味で私は、ドイツで成果を挙げている「開業医の適正配置」や「病院計画」がどのような法律や指針類で構成されているか、を追及することは重要と考えた。そこでドイツの医療制度の根幹ともいえるこれらの二つの制度について、その基本法ともいえる社会法典 V (ドイツの公的医療保険全般を規定)、その下の連邦の法律、医療行政の責任主体である州が作成する関連規則、さらにそれを実施するための医師会レベルの指針や計画書を縦の系列で呈示し、併せて関連する資料を収録した資料集を作成してみた。これをみることにより、かれらの綿密な計画と規則制定、医療者全員の協力など、大変な努力が払われていることが伺えると思う。これらの資料は煩雑な内容で簡単に読めるようなものではないが、医療制度を本格的に分析なさろうとされる方には、多少は参考になるのではないだろうか。
日本の医療は確かに世界のトップレベルに達しているが、どうして医療崩壊が心配されるような事態に立ち至っているかについて、視点を変えて分析する必要がある。日常の医の倫理を規定しているドイツの「医師職業規則」は、ドイツの医師の間では「医師の憲法」として大変重要視され、医学生もこれを理解して医学の勉学に努めている。そこには何が書いてあるかを読んでいただきたい。おそらく、いずれも常識で分かっていることで、殊更取り上げることもないと考えられる方も少なくないであろう。そして、わが国で多数出版されている「医の倫理」「生命倫理」の類の書物の中で、ドイツの「医師職業規則」のような日常の医の倫理あるいは義務を大きく取り上げているものはほとんどないのではなかろうか。
そこで考えていただきたいことがある。日本でもドイツのみならず他の国の医の倫理義務を規定した規則と同じ規則が作れるかどうか、ということである。そこに書かれていることは拘束力を持つ規定であって、違反はそれぞれの国の規定によって処罰の対象となりうるものである。ということを考えると、今まで常識的と安易に思っていた職業倫理義務は大変に厳しく重く感じられるようになると思う。そして多くの規定は、そして日本の現況ではこれをすべての医師に義務づけることは困難で、「努めるべきである」「することが好ましい」といった表現に後退してしまうのではないだろうか。ここに外国と日本との間の倫理感、義務感に大きな隔たりがあることを具体的に意識することができると思う。
ホームページにもいくつかの国の職業倫理義務について紹介しているが、これが定着することにより、責任があり、秩序だった医療が行われることになる。それだからこそ、諸外国はこのような規定を必要として作っているといえる。
医療の混乱の原因を医療費に押し付け、とくに低医療費政策といった坩堝のなかに総ての責任を注ぎ込んて有耶無耶にしてしまうことから脱却することが必要である。
医療の基本を医学教育から見直すことも必要であろう。