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興味深い発足の歴史から現在まで
ドイツの専門医制度と家庭医
追加:卒後研修規則は2003年に大改定されました。2005年版の条文(翻訳D136)をご覧ください。 |
本報告はJMS(Japan Medical Society)Vol.71: 68-71, Npv.2002.に発表されたが、編集部のご厚意により転載させていただくことになった。 JMS編集部/菊医会のURL: http://www.j-m-s.co.jp |
卒後研修規則(専門医規則)の総論部分の全訳はD124に、また同規則の一般医学(家庭医)の規定はD125に掲載しました。
はじめに
日本は今から130年前の1871年に、ドイツから医学を学ぶことになった。そして戦後アメリカの影響を受けるまでは、日本の医学はドイツ式と言われ、誰もがそれを疑わなかった。しかし、制度面に目を向けると、医師国家試験の厳格さや医師職業裁判所の存在に見られるように、日本とドイツの間には大変大きな違いのあることに気がつく。
これから述べようとする専門医制度においても、初期の段階から両国の間に決定的な隔たりがあり、それは現在も開いたままになっている。それを概観することは、ただ歴史的興味というだけではなく、現在の日本の進むべき道に対して大きな示唆となるであろう。
専門医制度に関連して
少し回り道になるかもしれないが、私がドイツに専門医制度があるのを知ったのは留学から帰国したあとで、1967年頃であった。偶然三つの書物でその存在を知ることになったが、二つは学術書で、他の1冊は「これから医師になろうとする学生と親に」と題する案内書であった。
後者には医師になるまでの教育と、医師がどのような職業であるかということを解説していて、そこに専門医制度のことも書いてあった。医師になるには、6年という長い学部教育を受けて国家試験に合格しなければならないこと、さらに何年にも及ぶ卒後教育を受けなければ一人前の医者にはなれないことが書いてあった。その中に「医師は以前と違って金儲けのできる職業ではなくなったから、収入の多いことを期待するとがっかりする。そして患者のケアという大変重い責任を有する職業で、生涯勉強を続けなければならない。向学心を持ち続け、他人にサービスすることに喜びを感じることのできる人でないと勤まらない職業である。」という趣旨のことが書いてあったのが印象に残っている。日本では私立の医科大学に入学するときの寄付金の額が、うなぎのぼりに上昇していく時代であったので、違った世界を見ている感じがした。
そこで私は、戦前に大成された大先輩数人に質問してみたが、どなたもドイツの専門医制度の存在を意識しておられなかった。わが国でも専門医制度の必要性がそろそろ考えられはじめてきた時代であったが、たまたま大学紛争が激化しようとしていたころで、当時は専門医制度を口にすることは、紛争の火種を大きくすることになるため、誰もが専門医について思考するのを停止していた。
後述するように、ドイツの専門医制度は1924年に発足したので、そのニュースがどのように伝えられたかを知る目的で、発足前後の年代の医学総合雑誌などを図書館で調べてみた。驚いたことにというか、予期したとおりというか、ドイツで専門医制度が施行されたという記事は一つも見出せなかった。この経験によって、日本はドイツから科学、技術としての医学と研究室の医学は学んだが、医学の発展の成果を社会に還元する方法までは目が及ばなかったことを改めて悟った。日本人のこの体質は現在にまで及んでおり、そのために昨今の医療をめぐるトラブルが噴出してきたと考えたい。
さて、話をドイツの専門医制度に戻すことにしよう。
ドイツの専門医制度発足の経緯
ドイツの専門医制度が発足したときの経緯については、ドイツ医師会会長と世界医師会会長を歴任されたゼヴェリング教授Prof. Seweringが、ドイツ医師会雑誌1987年9月3日号で解説している。許可を頂いたので、その箇所を紹介することにしよう。
「1924年にドイツ医師会議は、長い討議を経た上で、『専門医の認定と実際業務のための主題』と題する指針を決議したが、当時の報告者は、ここに至るまでの事情を以下のように述べている:
『医学は前世紀【19世紀】の中頃から予想を超えた広がりと深みを増した。その結果として各種の専門領域が分れてきた。この専門性は、病気の際に開業医を迂回して、直接に専門医の助けを受けるという傾向を助長し一般化してしまった。その必然的結果として、自由診療だけでなく、保険診療においても開業医は押し退けられ、年配の経験ある家庭医は消滅へ追いやられることになった。
そのように開業医に被害が生じたので、開業医も一般診療の傍ら一つの専門に転じ、「一般医+専門医」という第三の分類に属する医師群を発生させた。これはその後、一般の人をも巻き込んだある種の混乱を引き起こし、また医師としての職業の尊厳性を傷つける結果となってしまった。
このような弊害は、立法手段によって取り除くことは困難である。その理由は、営業規則のようなものが適用されたならば、その中で医師の身分に序列化が条件づけられてしまうという憂れうべき可能性があったからである。そこで医師たちは、一致して立法的干渉を拒絶し、営業規則の制定ではなく、その上を行くものとして、自分たちで自由に作る身分規定により明確な身分を創り出すことを決定した。
開業医は、家庭医として再び以前の権利に復帰されるべきであり、専門医は数年間の特別教育を受けて試験委員会によって証明されることにより、専門医として認定されるべきである。但し、専門医はその専門領域に限定され、家庭医としての開業を行ってはならない。開業医と専門医の癒着は職業倫理を損うものとして禁止する。』
そして専門医は、その専門的業務を行うのに必要な特殊設備が使用できるようになっていなければならない、専門医は、原則として本人が選択した専門並びに診療時間、病院及びコンサルタントとしての業務に限定しなければならない、家庭医としての実務を行ってはならない、というようなことが決定された。」
そして、専門領域の標榜は1専門科に限定された。
ドイツでは以上のように規定して、1924年に表1に示すような14科からなる専門医制度を一斉に発足させた。しかし、この制度を発足させるに当っては、「長い討議を経た上で」と書いてあるように、喧々諤々の激しい議論が行われたと別の書物には書いてあった。このような専門医制度は、戦前にはその内容に大した変化はみられなかったが、戦後になってから、医学の進歩に合わせて改定が何度も行われている。消滅した専門科もあるが、現在は多数の種類に分かれている。
現在日本が抱えている医療問題を眺めると、ドイツが専門医制度を発足させる前の状況を彷彿とさせるのではないだろうか。
ちなみに、米国の専門医制度は日本の認定制度と同じように、1科目ずつ発足しているが、1970年までの過程は表2に示したとおりである。米国もその後専門医の種類が増えている。専門の分類の仕方は米独の間で多少の違いはあるが、種類の数はほぼ類似していると言えるであろう。
卒後研修規則(専門医規則)
現在の卒後研修規則は、1992年の大改訂によって作られたが、その後も少しずつ改定が行われている。共通規則と専門科別の規則とからなっているが、細かい文字で書かれた60ページあまりの規則である。
共通規則部分では研修を受ける条件、義務、試験などについて詳述されているだけでなく、指導医となる医師の資格と責任が厳しく規定されている。指導医は指導を受け持つ科の専門医であって、専門能力と人格で適格であることを求められるが、担当した研修医の研修内容の詳細だけでなく、試験を行ってその評価を医師会に常置されている試験委員会に提出する義務がある。指導医のリストは公表されるが、指導を認められた病院を去るとその資格は消える。
EU理事会の卒後研修に関する指令を取り入れているが、EUの規則では研修がフルタイムであるかパートタイムであるかを厳格に規定している。
また、開業医も資格を認められれば卒後研修の指導医になれるし、開業医での半年ほどの研修を研修過程に含めている専門科も多い。
ドイツ医師会雑誌によれば、研修医に支払われる給料は、一般勤務医と同様に疾病金庫から支出される。しかし、開業医が研修を担当したときは開業医の経営努力に頼っているようであるが、この費用も疾病金庫の負担にすべきであるという意見が載っていた。
専門医の種類
現在、内科、外科などからなる41の専門科があり、その下に内分泌、胸部外科などのサブスペシャルティがあるのはアメリカなどと同じである。研修期間は科によって異なるが、通常5年又は6年である。
例えば内科の専門医の研修期間は6年であるが、消化器のサブスペシャルティの資格を得るためには、消化器の研修を2年間行わなければならない。この2年のうち1年分を6年間の中で研修できるが、少なくとも残りの1年分は6年間に付け加える形で研修しなければならない。すなわち、少なくとも7年を必要とする。また、外科は6年であるが、胸部外科のサブスペシャルティを取得するには、3年の研修が必要で、そのうち2年は6年間の外科研修にプラスされた形でなければならないから、合計8年はかかることになる。
このようなサブスペシャルティとは異なった特殊領域の研修コースが多数設けられていて、修了した者には証明書が発行されるが、いずれかの専門医資格を所有していることが必要である。産業医学、輸血、航空医学、ホメオパチー、スポーツ医学など22あるこの特殊領域は、専門医資格と併記しなければならない。この中には労働医学、輸血学などのように、類似した領域の専門医資格が確立しているものもある。労働医学と産業医学に例にとると、労働医学の専門医は4年間の研修を必要とする。一方産業医学は、2年以上の臨床経験を持つ別の科の専門医が、労働医学的研修を1年受けることによって取得できる資格である。労働医学専門医は大企業に勤務するが、中小企業を世話するだけの専門医がいない。それを補う形で産業医学の資格を有する医師が、パートタイムの形で中小企業における職業病や事故予防の任に当っている。
1992年の大改正によって、この他に自由選択研修の領域や各種の検査・治療の研修によって資格が証明されるような制度を作った。しかし、これらの資格は標榜できないことになっている。特殊な検査や治療を行っても、その資格を持っていなかったり、生涯研修を受けていなかったりすると、診療報酬が支払われないらしい。その実態を調べてみたいものである。
独立した形の専門科とそのサブスペシャルティの種類、それらの組合せなどは、卒後研修規則の改正に伴って変化していくので、分類は大変複雑になっている。例えば、小児外科、形成外科、心臓外科は、以前は外科のサブスペシャルティであったが、新しい規則では独立した専門科となっている。
このように専門医名称は時代とともに変化するだけでなく、ドイツの場合は東西ドイツ統一後に、旧東ドイツにあった専門医名称(その中には、西ドイツには存在しなかった解剖学、生理学、生化学などもある)が残されていたりするので複雑である。
一般医学(家庭医)の専門医資格
特筆すべきことは、1968年に一般医学の卒後研修規定が新たに加えられ、一般医学の専門医、すなわち家庭医を業務とする専門医が発足した。それ以降は、従来型の家庭医である実務医と、一般医学専門医が共存するようになった。実務医はその経験と実績により逐次一般医学の専門医の資格を取得している。
そして、1994年からは、家庭医としての業務を行う契約医(保険医の資格を取得していて、定員の枠内で開業する医師)として、新たに認可を受けるためには、一般医学の専門医資格を取得しなければならなくなった。そして間もなく、家庭医は全部専門医になってしまうが、1968年にスタートした制度が、30年後の今日ようやく完結に近づいている。
職業選択の自由に関連した基本法(憲法)裁判
以上のように書いてくると、ドイツの専門医制度は順調に発展してきたように受け取られるかもしれない。しかし、大きな試練も受けている。1971年は日本がドイツ医学を導入した1871年から百年目に当るので、日本医師会の武見会長は日独医学交流百年記念のセレモニーを盛大に開催した。そのとき、ドイツ医師会長、副会長、事務局長の3名がそろって来日して講演をされたが、前記のゼヴぇリング教授は副会長として卒後研修のことを話されることになっていた。楽しみにしていたのであるが、裁判の話などが出てきて、わけの分らない期待はずれの内容であった。しかし、後日次に述べるような事情があったことを知り、納得できるようになった。
つまり、そのときドイツの専門医制度に大きな危機が訪れていたのである。1970年ころに2名の医師が、専門医の標榜が1科に限られているのは、職業選択の自由に反するという訴訟を憲法裁判所に起したため、裁判所は多角的な調査を開始した。その間に医師たちは、専門医の認定が医師会から行政に移るのではないかというような心配もしたが、それはなかった。しかし、複数の専門を標榜して差支えないという判決が下ってしまった。
その判決を受けて医師会は、卒後研修規則を変更しなければならなくなったが、専門科を二つまでならば標榜できるという規定に改め、例えば内科と皮膚性病科、内科と小児科、内科と臨床検査なら併用できる、という形式で多数の組合せを作った。しかし、ここで注目すべきことは、家庭医(一般医学専門医)だけは単独標榜と定め、他の専門科を標榜することを認めなかった。この難局に遭遇しても、家庭医の業務の本質を認識し、その業務遂行を守った見識は注目に値する。
しかし、この変則的な規定は1992年の大改訂のときに表面から消え、「専門科の標榜は1科を原則とする」というように改められた。
おわりに
以上に述べたことにより、ドイツの医師が専門医制度に取り組んできた経緯、とくに医学の成果をどのようにしたら国民に効果的に還元できるかということ真剣に考え、実践してきたことが伝わったのではないかと思うが、私たちもこのような形で、自分たちの専門医制度を語れるようになりたいものである。
以上
表1 ドイツの専門医の種類と研修期間(1924年の発足時)
卒後研修期間 |
専門医 |
4年 |
内科、外科、産婦人科 |
3年 |
胃腸代謝、肺疾患、小児疾患、尿路疾患、神経及び精神疾患、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚性病科、歯−口腔−顎疾患、レントゲン学及び放射線治療。 |
表2 米国の専門医制度が発足した年
米国の卒後研修ガイドブック(1971年)から
眼科 |
1917 |
内科 |
1936 |
耳鼻咽喉科 |
1924 |
病理学 |
1936 |
産婦人科 |
1930 |
麻酔科 |
1937 |
皮膚科 |
1932 |
形成外科 |
1937 |
小児科 |
1933 |
外科 |
1937 |
整形外科 |
1934 |
神経外科 |
1940 |
放射線科 |
1934 |
物療医学リハビリ |
1947 |
結腸直腸外科 |
1934 |
予防医学 |
1948 |
精神神経科 |
1934 |
胸部外科 |
1948 |
泌尿器科 |
1935 |
Family Practice |
1969 |