日本は明治の初期にドイツから医学教育を学んだが、両国の教育の実際には、その厳格さなどにおいて大きな差がある。ドイツの卒前教育を規定する規則は「医師免許規則」という名称になっている。
ここには1999年時点の「医師免許規則
D121」と2002年に大幅に改訂された「医師免許規則 D135(2004年再改訂)」の両方を掲載した。両者を比較することによって、改革に何を求めたかが把握できると思う。卒前の医学教育の内容は、規則に詳細に記述されているので、解説めいたものは不要であろう。
M412、M413、M414では2002年の改訂前までの規則の概要を述べているが、その内容は現在の規則にも共通するので目を通していただきたい。
このようにドイツでは、2002年に卒前教育を規定する医師免許規則が改訂され、2003年には罰則付きで義務化された生涯研修規則が新たに制定され、2004年には卒後研修規則(専門医規則)の大幅な改訂が行われた。その辺の事情はD418に示したとおりである。
また、ドイツでは医学博士の学位論文は医学部学生のうちに作成し、卒後は卒後研修に専心する。この点は、卒後研修と競合する日本の学位制度とは著しく異なるが、その事情はM414とM406で紹介した。
歴史的に見ると、日本がドイツから医学教育を取り入れたのは1871年であるが、北ドイツで統一された医師国家試験が導入されたのは、その2年前の1869年である。スタートは僅か2年の差であるが、ドイツはその後制度の改定を重ねて現在に至っている。大きな改定は1901年、1924年、1953年、1974年、そして今回の2002年に行われた。筆者は1899年、1924年、1953年、1974年の医師免許規則を所有しているので、興味のある方にコピーを差し上げることができる。1901年と1924年の規則は所謂ヒゲ文字で書かれた資料であるが、これらを見ると現在に受け継がれている卒前教育の基本理念と厳しさが理解できるので、翻訳したいと思ってはいるが未だに果たしていない。
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